学校が終わり、外は今にも雨が降りそうな曇り空だった。 トモは家路を急ぐ。風邪で欠席した親友の分のプリント類などを先生から預かっており、それを届けなければならなかったからだ。 しかし、傘を持ってきていなかったので雨に降られる前に家に戻り、傘を取ってきてから届けに行こうと考えていた。 その時、空から黒い羽が落ちてくるのが見えた。 天使の羽。それは『白い羽』と『黒い羽』。 天使の羽。それを手に入れると願い事がかなう。 そんな噂がトモの学校で流行っていた。数日前、トモのクラスメートが鳥の羽を拾って「天使の羽だよ!」などと騒いでいた。 「天使の羽……。本物だ……」 トモはそう感じた。理屈で説明できるようなものではなく、感覚的にそう感じたのだ。 前からそのことを知覚していたような不思議な感覚。 そんな感覚に戸惑い、雨が降りそうな天気に急いでいたことを忘れてしまっていた。 ただ、落ちてくる羽に手を伸ばす。たぶん、トモは意識せずにやっていたのだろう。 羽を手にしたトモは、しばらくその場でぼうっとしていが、ぽつぽつと雨が降り出し、それに気付いたトモは急いで家へと帰った。 「ユカちゃん、はいこれ。今日もらったプリントだよ」 「ありがとう。トモちゃん」 一度、家に帰ったトモは荷物を置き、小学校を休んでいた親友、ユカの家に来ていた。 ユカの風邪は、ほとんど良くなっており、明日には学校に行けるだろうとトモは思った。 「あ、そうだ。ユカちゃん聞いてよ。今日、帰りに天使の羽見つけちゃったんだ」 「天使の羽って、今学校で噂になってるやつ?」 「そうそう。説明は出来ないんだけど、なぜか本物だってわかるの」 「ふーん。トモちゃんが見つけたのって黒いやつ?」 「え? う、うん。そうだけど……。どうして?」 トモは、自分の言葉に何の疑問も持たずに、さらには、色まで当てたしまったユカに一瞬驚いたが、色なんて黒か白かの二択。正解は1/2だ。偶然あたってもおかしくない。 ユカがトモの言葉に疑問を持たなかったのは、単純にトモを信じただけ、という可能性もある。 「なんとなくそう思っただけだよ」 ユカは微笑みながら言った。 次の日、黒い羽に異変が起こっていた。 トモが学校から帰ってくると、羽が淡く光っていたのだ。 羽の光が明滅し、それにあわせて声、いや声というより音と言ったほうがいいような、そんなものがトモの頭に響く。 言語でもなく音楽でもなく、適当な音が適当に響いているような、それなのにその意味を理解することが出来る。 ――ユカヲコロセ コロシテワタシニササゲロ 「なにこれ!? なんでわたしがユカちゃんを……」 トモは耳を塞ぎ、その場にしゃがみこんだ。 しかし、それでも音は止まらない。直接頭の中に響く。 トモは無駄だとわかっていたが、布団へともぐりこんだ。 夜になり、トモはユカに電話をした。 「ユカちゃん……。相談が……あるんだけど……。今から、いつもの公園にこれるかな……?」 いつもの公園とは、トモの家からもユカの家からも徒歩で3,4分でつく場所にあり、夜に用事があるときは大体ここを待ち合わせ場所にしている。 「今から? うん、大丈夫だけど、どうしたの?」 「公園に着いたら話すよ……」 そう言ってトモは電話を切った。 「おーい、トモちゃーん」 先に公園についていたトモに、ユカが手を振りながら走ってきた。 「ユカちゃん……き……」 ――来ちゃだめ! トモはそう言いたかったが、その言葉が出ることはなかった。 「で、トモちゃん、どうしたの?」 「ごめんね……。ユカちゃん……」 「え?」 トモの手には、カッターナイフが握られており、限界まで出された刃の半分以上が、ユカの腹部に突き刺さっていた。 「はっ。やった。ついにやった。これで……」 そう言いながらトモは、いやトモの体を借りたなにかは、ユカの腹部に刺さったカッターナイフを激しく動かす。嬉しそうに、楽しそうに、ぐちゃぐちゃと臓物をかきまわすように。 ユカは悲鳴すらあげられなかった。痛みと、何が起こっているのか把握しきれずに困惑していたから。 ただ、トモの姿を目に映しているだけだった。 トモの体を借りたなにかは、手に力を入れた。パキっという音がし、カッターナイフの刃が折れ、ユカの体が崩れるように地面に倒れた。 トモの口元がにぃっと嗤い、トモの体もその場に崩れた。 「ついにこのときがきた。わたしが、世界を……」 いつの間にかトモの背後に長身、長髪、整った顔立ちで、黒い翼があり、そして禍々しい気配を放つ男が立っていた。 トモの背後にたっていた、というより、トモが倒れたその場に突然現れたといったほうがいいのかもしれない。 その男は天を仰ぎ、ただただ嗤っていた。 「遅かった。いや、間に合ったというべきでしょうか。ルシフェル」 黒い翼の男の目の前、つまりは倒れたユカの方からその声は聞こえてくる。その声の主は、黒い翼の男と姿がほとんど一緒だった。違うのは翼の色が白であること、そしてその気配が神々しいことである。 「ミカエルか」 黒い翼の男、ルシフェルは言った。 「あなたは、その少女二人を……」 「そうだ。いい余興に、と思ったんだが」 ルシフェルは嗤っていた。白い翼の男、ミカエルを嘲るように。そして、自分を嘲るように。 「なんてことを……。わたしは、あなたの馬鹿な趣味に興味はありません」 「死ぬより死ぬことを常に恐れていることのほうが残酷であろう? 彼女たちのためでもある。それに、済んだことは済んだこと、それは元には戻らない。つまり、お前がいまさら何をしようが無駄という訳だ。死の力に対する薬草は無いのだからな」 「もう、いいです。黙ってください。私が来たということはどういうことかお分かりですよね?」 ミカエルは怒りをあらわにして言った。 「承知している。お前が現れたときわたしの負けは絶対的なものになる」 「そうです。それがわたし達の関係であり運命。意味も無ければ理由も無いのです」 そう言ってミカエルは天に手をかざす。 「Cras amet qui nunquam amavit.」 ミカエルがそう呟くと、ルシフェルは眩い光とともに消えていった。 消えるとき、ルシフェルは思った。「馬鹿なことを言うやつだ」と。 |